着物と家族の記憶を残したくなった理由

私のこと

このブログを始めたとき、着物と茶道にまつわる話を書こうと思った。着物の楽しさやちょっとした道具の話、そんなことを忘備録として書きたかった。

だが、着物の話を書き始めると、不思議ことに親族の記憶、祖父母が住んでいた家の記憶が後から後から溢れてきた。

毎日着物をきて生活していた曽祖父と曽祖母、晩年家の中で曽祖父の着物で過ごしていた祖父、出かける時は着物を着ていた祖母、正月や参観日に着物を着たり若い頃は普段にウールの着物を着ていた母、着物好きの親戚の女性たち。

懐かしい顔が私の頭の中でいっぱいになり、笑ったり喋ったりしている姿を思い出す。

笑う祖母の顔を思い出している時にふとこう思った。

明治生まれの祖母は、文章を読むことも書くことも大好きだった。もし、祖母の若い時代にブログがあったら、面白いブログを生き生きと書いたかもしれない。

女学校時代の思い出話、結婚の挨拶に来た祖父の顔を障子に穴を開けてどんな男性なのか覗き見した話、家庭菜園のスイカが立派に育った話、孫たちとババ抜きをしたらなぜかババばかり引いてしまって笑いが止まらなくなってしまった話

祖母に書いてもらいたい話はいくらでも思いつく。私の知らない楽しい話、悲しい話、辛かった思い出もたくさんあっただろう。

そんなことを考えているうちに、ちょっと面白いことを想像してしまった。

もし、もっと昔にブログがあったらどうだろう。

戦国時代の足軽ブログ「戦争と日々の日記」

江戸時代の乳母ブログ「若様の育児ブログ」

そんな日常の記録が残っていたら、どんなに面白いだろう。もちろん、実際にはそんなものはない。

だけど、もし昔の庶民の生活の記録が残っていたら、私たちはそこからたくさんのことを知ることができたのではないだろうか。

そこで、ふと思った。

私のこのありふれた子ども時代の風景を残したブログも、未来の人が見たら「こんな生活があったんだな」と思うかもしれない。

消えゆく生活の記録をここに残しておこうと思う。

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